天草の旅1 「南蛮文化とキリシタンの歴史に触れる旅」

天草は熊本県の南西部に位置する島々で、天草五橋と呼ばれる5つの橋で九州本土と結ばれています。天草では熊本地震後、大きな被害はなかったものの、宿泊キャンセルが多数出るなど、さまざまな影響があったそうです。しかし、天草の海は変わらず青く美しく、訪れる人の心をひきつけます。

 

天正遣欧少年使節ゆかりの地

ポルトガル人宣教師によってキリスト教が伝えられた天草では、人々の間に信仰が広まります。天草の河浦には、1591年から1597年の間、宣教師を養成する大神学校「コレジヨ」が開校されました。ここでは、天正遣欧少年使節団として知られる4人の少年たちも学んだといいます。天正年間(1582~1590)、日本人として初めてヨーロッパを旅した少年たちはローマ法王に謁見し、各地で歓迎を受けました。

天草コレジヨ館には、彼らが持ち帰った「グーテンベルクの印刷機」の複製や、乗船した南蛮船の模型、当時の衣服や楽器など、南蛮文化を伝える資料が展示されています。また、「世界平和大使人形の館」が併設され、平和を願い世界各国から届いた117体もの人形が展示されています。

天草コレジヨ館 http://hp.amakusa-web.jp/a1050/MyHp/Pub/

1613年に江戸幕府が禁教令を公布すると、キリシタンへの弾圧は厳しさを増していきました。1637年、キリスト教の弾圧や厳しい年貢の取り立てなどに反発し、天草と島原(長崎)で「島原・天草一揆」が起こります。一揆軍の総大将となったのが当時16歳の天草四郎時貞でした。1638年に島原の原城が陥落し、一揆は終結します。

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天草パールセンターそばにある天草四郎時貞像

静かな漁村で守り継がれてきた信仰-﨑津集落

キリスト教が禁じられた時代に、天草では多くの人々が潜伏キリシタンとして、信仰を守りつづけてきました。天草市下島の「天草の﨑津集落」は、世界文化遺産への登録を目指す「長崎の教会群」の構成資産の一つ。禁教期に焦点を当て、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という名称から、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」という名称へ変更されることが、9月1日に決定しました。

﨑津では、キリスト教布教から弾圧・潜伏、復活に至る痕跡を見ることができます。干物やお菓子を売る店が並ぶ路地を抜けると、ゴシック様式の「﨑津教会」が現れます。日々の祈りの場である教会の中には畳が敷かれ、ステンドグラスを通して明るい光が差し込みます。この教会は、キリシタンを弾圧する「絵踏」が行われた庄屋屋敷跡に建てられています。

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かつて、﨑津は海産物や木材などの交易で栄えました。当時の旅館の建物を改修した﨑津資料館「みなと屋」には、﨑津の歴史や潜伏キリシタンについての資料が展示されています。

温暖な天草では、今、オリーブの栽培が行われています。﨑津の町なかにある「AMAKUSANTA」は、天草でとれたオリーブでつくるオイルや、オリーブリーフティーなどを並べたお店。バニラアイスクリームにオリーブオイルやごま油を垂らして味わう大人味のデザートも味わえます。 http://www.amakusanta.jp/

IMG_6662_天草町大江の小高い丘の上に建つ大江教会は、キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会です。昭和8年(1933年)にフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立しました。

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明治40年(1907年)に天草を訪れた与謝野寛(鉄幹)、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人はガルニエ神父と出会い、キリシタンの歴史や自然に心を打たれ、「五足の靴」と題した紀行文を発表しました。

◆「キリスト教伝来450年記念特別展」

キリスト教が天草に伝来して450年となる今年、天草コレジヨ館、天草ロザリオ館、天草キリシタン館の3館を巡回する特別展が開催されます。期間中は3館の観覧料が無料になります。日程など詳しくはこちら→http://www.t-island.jp/p/event/detail/1489

天草の詳しい情報は、天草宝島観光協会のホームページへ。  http://www.t-island.jp/

取材協力/天草市・一般社団法人天草宝島観光協会

(2016年8月取材/文・写真 ゆうプランニング野口)

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