17「熊本城内で、熊本の英雄・加藤清正を祀る」 加藤神社

熊本城を間近に望める、観光スポットとしても人気

仰清正公_熊本城内に鎮座し、戦国時代の武将・加藤清正(きよまさ)を祀(まつ)る「加藤神社」。肥後熊本藩の初代藩主でもある加藤清正は、熊本城の築城をはじめ、土木・治水工事、農業の振興など熊本発展の礎を築いた人物で、熊本県民から「清正公さん(せいしょこさん)」と呼ばれて親しまれています。

境内には、清正の旗立石(はたたていし)や、築城の際に清正が手植えしたといわれる銀杏(イチョウ)の木も残されています。

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加藤神社は、明治4年(1871年)、現在の熊本城本丸と宇土櫓(うとやぐら)の間に「錦山神社(にしきやまじんじゃ)」として建立され、その後、明治7年(1874年)に熊本市京町へ、昭和37年(1962年)に現在地へと移されました。境内からは熊本城の天守閣が望め、「熊本城近望の名所」としても知られています。

境内から望む天守閣。右が大天守、左が小天守
鳥居の横には「宇土櫓」も。高さ約20メートルもの石垣は圧巻
鳥居の横には「宇土櫓」も。高さ約20メートルもの石垣は圧巻

どんなに大変な状況であっても、決して祭りを絶やさない

4月16日に本震が起きた時、権禰宜(ごんねぎ)の西山敬重(ひろしげ)さんは、神社で一人当直をしていました。「建物が大きく揺れ、すぐに外へ避難しました。すると、熊本城の石垣が崩れ落ちる音が聞こえてきました。『これは大変なことになった』と、全身の血の気が引いたのを今も鮮明に覚えています」。

崩れ落ちた石垣に彫られていた、観音菩薩。境内に展示されている
崩れ落ちた石垣に彫られていた、観音菩薩。境内に展示されている

神社の建物被害は少なかったものの、熊本城全体が立ち入り禁止となり、加藤神社へ続く道も通行禁止に。しばらくは、職員全員が神社の中で避難生活を送ったそうです。

「4月24日は、年に一度の春季例大祭でした。神社にとって、〝祭り〟は神様をご奉仕する大切な行事。『大変な状況で、氏子の方々に来て頂けなくても、祭りを絶やすわけにはいかない』と、職員が一丸となって準備をし、無事に実施することができました」。

加藤神社には、地震後、県内外から様々な支援の手が差し伸べられました。中でも印象深いのは、「愛知県にある〝豊国神社〟とのご縁」と西山さん。「豊国神社のご祭神である豊臣秀吉と清正公は、400年以上前、主従関係にありました。そうしたご縁から、『清正公社』と書いたご朱印を新しく作り、その初穂料を全て加藤神社へ寄付するという活動を続けてくださっています(2016年10月現在も継続中)」。

加藤神社への道が開通したのは、前震発生から約2カ月後の6月8日。「先が見えない暗闇に、光明が差したようでした」と西山さん。この日を待ちわびていた熊本県民が続々と訪れ、今では県外や海外の参拝客も増えているそうです。

「地震を経て、参拝客の方々がどのような思いで神社に足を運んでくださったのかと、より一層考えるようになりました。皆さん、大変な状況の中、足を運んでくださることは大変有り難いです。私たち職員に声を掛けてくださる方も多く、参拝客の方たちとお話しをする機会も増えましたね」。

県内外から、多くの参拝客が訪れている
県内外から、多くの参拝客が訪れている

笑顔の連鎖が、ご縁を繋いでいく

「熊本の人たちは、持ち前の明るさで、未曾有(みぞう)の大震災を乗り越えようとしています。辛い中でも絶えない笑顔の連鎖のおかげで、想像以上に速いスピードで復興しているように思います」と西山さん。

「私たちはこれからも、地域の人と人をつなぐ神社でありたい。祭りを続けていくことで、人々を集め、コミュニティーを動かすという役割を、これからも担っていきたいと思います」。

 ◆人生の節目における祈願

加藤神社では、子どもの初節句や七五三、神前結婚式、厄年、還暦など、人生の節目節目における祈願を受け付けています。詳細は下記アドレスで確認を。

加藤神社 http://www.kato-jinja.or.jp/

(2016年10月取材/文・写真 溝尻亜由美) ※一部写真は同年7月に野口撮影

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